私が最初にエリック・クラプトンと出会ったのは、中学生の頃でした。
中学生の頃の私は、ハードロック少年であったのと同時に全米TOP40少年でした。
全米ポップチャートを常にチェックしていて、FMラジオもよく聴いていました。
クラプトンとの最初の出会い
そんな時に偶然聴いたのが「Wonderful Tonight」でした。
それ以前に「世界3大ギタリスト」の一人という認識はありましたが、
「Wonderful~」を聴いて少々面食らった記憶があります。
しかし、とてもきれいで穏やかな曲という印象で、
曲自体は気に入りましたが、それ以上には進みませんでした。
その次の出会いは、約5年後です。
この頃、私はローリング・ストーンズにハマった直後ぐらいで、ブルースにも興味を持ちつつあった時期で、その流れで「Derek&The Dominos」の『いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)』を聴いたのです。
ブルースギターを教えてくれた恩人
この頃のクラプトンは、英国系ブルースロックバンドの「Cream」を解散し、
アメリカ南部系ロックのスワンプロックに傾倒し始めた時期であり、
1970年の発表したソロアルバムでそれは顕著になりました。
そして、その直後、アメリカ人で構成されたバンド、
「Derek&The Dominos」を結成し、ゲストミュージシャンとしてデュアン・オールマンを迎えて制作されたのがそれです。
私はこのアルバムに収録されているフレディ・キングのナンバー
『Have You Ever Loved a Woman』のクラプトンのプレイにまさにノックアウトされたのです。
マッスルショールズのセッションギタリストであり、
オールマン・ブラザーズ・バンドのメンバーであるデュアン・オールマンのプレイは
本当に素晴らしいのですが、私はモダンスタイルのクラプトンのブルースギターにそれ以上の感銘を受けました。
60年代のギブソン&マーシャルのある意味当時のブリティッシュサウンドとは異なる、
ストラトキャスター&ミュージックマンの繊細かつシャープなサウンドもあいまったのでしょう、
私の体の奥底にグサグサ突き刺さったのです。
そこから私はブルースギターに目覚め、黒人たちのブルースにのめり込んでいったのです。
ブランクの後、復活!
デレク&ザ・ドミノスは、71年の他愛もないケンカ(もともとはドラッグ問題でしたが)
して解散してしまいました。そして、その直後、デュアン・オールマンが交通事故で他界。
このあと、クラプトンはこれらトラブルのショックで、
重度のヘロイン中毒に陥ってしまいました。
廃人同様にまでなりましたが、友人たちの助力により、
1973年1月、ロンドンのレインボウ・シアターにて復活しました。
この時の音源は発表されていますが、リハビリの感は否めません。
そして、1974年に復帰第1弾の『461オーシャンブルーバード』を発表しました。
この時のクラプトンは、よりリラックスし力の抜けた、
レイドバック・スタイルを打ち出していました。
まだ色々あったのでしょうが、一定の落ち着きを取り戻したのでしょう。
また、ドミノスの頃からメロディアスな路線が散見されてきましたが、
このアルバムはさらに顕著になってきています。
オープニングナンバーである、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの
「Motherless Children」はスライドギターがさく裂して結構インパクトありますね。
ただ、このアルバムのハイライトはボブ・マーレイの「I Shot The Sheriff」のカヴァーでしょう。
シングルカットされ全米でNo.1も獲得しましたが、
これによりボブ・マーレイを世に知らしめることに成功しました。
こういうことは、ストーンズが得意とするところなのですが、
この曲はストーンズがレゲェを演奏するよりも前です。
身を削って名曲を生み出す?
もう有名な話なのですが、クラプトンは当時ジョージ・ハリスンの妻だったパティ・ハリスン(ボイド)に恋をしてしまい、曲も作ってしまいました。
それが、あの「レイラ(Lyla)」ですが、デュアン・オールマンのスライドギターの攻撃的プレイも相まって、非常に情熱的なナンバーでした。
1977年に発表された『スローハンド』にもパティへの想いを綴ったラブソングを発表しています。
それが、レイラを並びクラプトンの代表曲であり、
私が初めてクラプトンに触れた曲でもある「Wonderful Tonight」です。
この曲は、パティの仕草や行動をクラプトンが愛おしく思う様が歌われていて、
「レイラ」の頃のクラプトンとは精神状態が全然違うことに気付きます。
もっとも、80年代にパティとは離婚してしまいましたが。
(続く)
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